おととしの春、私は目の前で家族のこころがこわれてしまう瞬間を見た。

スマホでママ友からのメールを見ていただけだったのに、

「誰と連絡しているんだ!」と

スマホを取り上げられ、メールの履歴をチェックされた。

やめるように何度も言ったけれど、聞き入れてもらえず。

スマホを取り返そうとしたら、腕をねじりあげられた。

頭に来た私は、その腕にかみついた。

そして、ほほがはれるほどぶたれた。

普通じゃなかった。私は1歳の娘を連れて逃げようとしたが、

行く手をはばまれてしまった。

「なんで俺だったんだ。いつからだまそうとしていたんだ」

カルト宗教の信者だから、警察に通報する。

家族はそう言うと、警察に通報した。

そして、警察が来るまでの15分間、

誰もいないはずの空間に向かって、

「誰だ!どこにいるんだ!」と

叫び続けていた。

このできごとのことを、私はずいぶん長い間、

両親と信頼のおける数人にしか話せませんでした。

話せないので、しばらくはこのできごとが

頭のなかを離れません。

「話せない」というのは

こころのなかにこのできごとを抱えて

「放せない」ことでもありました。

抱えきれない感情は、外に出たがっていました。

私は話せないこのできごとを

何度もくりかえし文字にして

少しずつ放し続けました。

書くときは思い出しながら言葉にするので、

まるでタイムマシンに乗って

その場面に戻ってしまったかのように

苦しくなることもありました。

過去のできごとなのに、

自分のなかでは少しも過去になっていなかったのです。

以前につらいできごとを書いて放していたので、

この苦しさを乗り越えれば、

きっと自分の気持ちは良い方に変わる

信じて書いていました。

書いているうちに、いつか、

同じような経験をした人たちの

何かお役に立てるかもしれない。

そんな考えが浮かび

書き続ける力になりました。

書き出すことで、混乱していた頭のなかや

気持ちが少しずつ整理され、気がつけば、

このできごとは何とか抱えられる大きさになりました。

抱えられるようになるのはいつになるのか、

私はもちろん、誰にもわかりません。

けれども、書き続けていくこと。

過去を、過去のできごとと思えるようになるまで

何回でも言葉で表現することが大切です。

必ず、現実を少しずつ受け入れられるようになっていきます。

書いて放すことにルールはありません。

誰にも話せないことがこころでつかえて苦しいならば、

思うままに書いて放し続けてみてください。

balloons-1012541_1280
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
よく読まれている記事

Sorry. No data so far.